創生期
御船だんじり

創建は天保13年(1842年)以前と言われている。
明治29年(1896年)までは「御船だんじり」を奉納。
その後、明治30年(1897年)に「御船だんじり」を新兵衛に譲渡(明治30年~不明)。
平成5年に宮之下青年団が中心となって復元した「御船だんじり」。
隅提灯が「みやのふね」に注目。
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西條史談 第39号
西條史談 第39号 P.53~54 吉本 勝 著(抜粋)によれば、
第十三番 宮之下組
初めての奉納は、古老の話によれば、寺之下に次ぐ早い奉納であったが、一台目を処分して永年奉納が無かったので、現在の順番となった。明治30年迄は御船楽車を奉納していた。同年に建造した楽車は、素木二階造であった。昭和28年に西条東原を経て西条都町へ渡った。昭和60年新調に伴い野々市の自動車店へ譲渡した楽車は、昭和28年に西条大町方面より渡ってきたようである。平成5年氷見上町が二階造を三階造へと大改造に伴い古い屋根、四本柱を譲り受け地元の大工が「御船楽車」を復元した。
との記載がある。
正しい記載としては
しかし、これらの記載には間違いが含まれている。すなわち、「一台目を処分して永年奉納が無かった」との記載については、正しくは明治29年まで御船だんじりを奉納しており、永年奉納がなかった訳ではない。つまり、現在でも「だんじり」と「みこし(太鼓台)」では別々に屋台番号が存在するように、「御船だんじり」と「現行型のだんじり」では別々に屋台番号が存在していたと考えられることから、このような記載となったものと思われる。また、「明治30年迄は御船楽車を奉納していた。」という記載については、正しくは明治30年に宮之下は、正式に屋台番号を取得していることから、「御船楽車」による奉納は明治29年が最後の年である。また、「昭和60年新調に伴い野々市の自動車店へ譲渡した楽車は、昭和28年に西条大町方面より渡ってきたようである。」という記載、すなわち二代目宮之下だんじりについては、正しくは大正14年に素木二階を宮之下で新調である。
御船だんじり ギャラリー
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明治期
明治22年 初代宮之下楽車 建造

明治22年(1889年) 初代宮之下楽車 素木二階 建造(大工・彫刻共に不明)
明治30年(1897年)に「第十四番宮之下」
明治35年(1902年)に「第十三番宮之下」(∵第九番山口の取消で屋台番号の繰上げ)
宮之下(明治22年~昭和27年)⇒東原(昭和28年~昭和62年)
⇒都町(昭和63年~平成16年:その後保管)⇒明理川(平成20年~現在)
明理川楽車創建御披露目式:平成20年(2008年)7月20日
改訂版 伊曽乃祭礼楽車考
改訂版 伊曽乃祭礼楽車考 佐藤 秀之 著のP.64「東原」の項目によれば、
明治22年(1889年)に氷見宮之下で建造された二階楽車。四本柱の長い、そのスタイルには定評があるが、明治中期のその美しい形態を改修時に損ねてしまった。この直接の原因は、昭和46年、宮出し時の常磐巷との一戦である。この喧嘩の後、大修理を行ったのだが、特に下勾欄の変化は著しい。氷見新町楽車が同型楽車なので、比較すれば明らかだが、下段は四六式、擬宝珠高欄、上段は短い古風なワラビ手のついた刎高欄(はねこうらん)であった。
との記載がある(カッコ書き補足)。
すなわち、「初代宮之下楽車は氷見新町楽車と同様に、下勾欄の格挟間(こうざま)は四六式、すなわち楽車の前後の格挟間が4つ、左右の格挟間が6つであった。」と記載されている(カッコ書き補足)。
しかしながら、個人的には、初代宮之下楽車は、明治22年(1889年)に新調であるから、下勾欄の格挟間は四六式ではなく、六八式であったと思われる。なぜなら、明治25年(1892年)に新調の「原之前」、明治9年(1876年)に新調の旧「坂元」(現「砂盛町」)の格挟間が六八式であることに鑑みれば、明治22年(1889年)に新調の「宮之下」の格挟間も六八式であったと考えるのが自然だからである。
また、同書のP.65「東原」の項目によれば、
それが、改修後は、下勾欄の格挟間は、前後が六、左右が十に区切られた前例のない擬宝珠高欄となり、上段は、洲之内風のワラビ手高欄となってしまった。彫刻は、破風に鳳凰、支輪は雲、長押小間に唐草を入れ、垂面は松、上段、中段の透かしと隅障子には太閤記の名場面を彫り、透かしている。改修前は、中段は水色の裏紙を貼っていた。
との記載がある。
明理川(初代宮之下)だんじり 六十式の格挟間


改修後において、下勾欄の格挟間が、前後が六、横が十に区切られた原因は不明だが、改修時は、神戸校区の「東原」が同楽車を所有していたことから、東原の建具職人が行った可能性が高いと考えられる。ちなみに、昭和46年頃、東原には、2人の建具職人が存在していたが、いずれの建具職人が大修理を行ったのかは不明である。
大正期
大正14年 二代目宮之下楽車 建造

大正14年(1925年) 二代目宮之下楽車 素木二階 建造(大工・彫刻:村上藤吉)
宮之下(大正14年~昭和59年)⇒個人所有(昭和60年~現在:黒塗二階)
兄弟楽車
村上藤吉(野々市出身)が大工や彫刻を手掛けた兄弟楽車としては、
・吉原三本松 大正12年(1923年)建造 素木・三階
大工:石川甚助 彫刻:村上藤吉
・栄町中組 昭和62年(1987年)購入 素木・三階
大正13年(1924年)に東町で建造 ⇒横黒(昭和26年~) ⇒北之町下組(昭和54年~) ⇒栄町中組(昭和62年~)
大工:石川甚助 彫刻:村上藤吉
・栄町下組 大正14年(1925年)建造 素木・三階
大工:石川甚助 彫刻:村上藤吉
・船元町 昭和57年(1982年)購入
氷見新兵衛(明治33年)で建造 素木・二階
⇒北之丁上組(大正4年~) ⇒常盤巷(昭和32年~) ⇒船元町(昭和57年~)
大工:村上藤吉
・北条西 平成10年(1998年)に購入
明治31年(1898年)に裏で建造 ⇒大久保(昭和50年~) ⇒親善会(平成4年~) ⇒北条西(平成10年~)
大工:村上藤吉
・今在家 平成11年(1999年)に購入
明治31年(1898年)に新御堂で建造 ⇒氷見朝日町(昭和57年~) ⇒今在家(平成11年~)
大工:村上藤吉 彫刻:村上藤吉
・広江 平成17年(2005年)に購入
明治32年に末長で建造 ⇒栄町上組(大正4年~) ⇒西之原(昭和40年~) ⇒御所通(昭和58年~) ⇒西新町(昭和63年~) ⇒広江(平成17年~)
大工:村上藤吉 彫刻:村上藤吉
・吉田 平成19年(2007年)に購入
明治32年(1899年)に氷見新出で建造 ⇒川沿町(昭和58年~) ⇒吉田(平成19年~)
大工:日野国助 彫刻:村上藤吉
・石田 平成25年に購入
明治34年(1901年)に氷見尾土居で建造 ⇒八丁(平成元年~) ⇒石田(平成25年~)
大工:村上藤吉 彫刻:村上藤吉
・田野組(=丹原町田野上方) 昭和63年(1988年)に購入
大正9年(1920年)に氷見末長で建造 ⇒田野組(昭和63年~)
大工:村上藤吉 彫刻:村上藤吉
各楽車の画像は、下記「西条異景 西条祭り・愛媛県西条市(yancanのブログ)」からご覧ください。
昭和期
昭和60年 三代目宮之下楽車 建造

昭和60年(1985年)三代目宮之下楽車 素木三階 建造
大工:難波江英明 彫刻:土居工雪
兄弟楽車(その1)
大工:難波江英明、彫刻:土居工雪が手掛けた兄弟楽車としては、
・岸陰 昭和58年(1983年)建造 素木・三階
大工:難波江英明 彫刻:土居工雪
・大町朝日町 昭和59年(1984年)建造 素木・三階
大工:難波江英明 彫刻:土居工雪
・福武若葉町 昭和62年(1987年)建造 素木・三階
大工:難波江英明 彫刻:土居工雪
兄弟楽車(その2)
土居工雪が彫刻を手掛けた兄弟楽車としては、
・中野藪ノ内 昭和57年(1982年)建造 素木・三階
大工:伊藤一直 彫刻:土居工雪
・明神木 昭和58年(1983年)建造 素木・三階
大工:松井司 彫刻:土居工雪
・駅西 昭和58年(1983年)建造 素木・三階
大工:金森正一 彫刻:土居工雪
・上喜多川 昭和58年(1983年)建造 素木・三階
大工:金森正一 彫刻:土居工雪
・若草町 昭和59年(1984年)建造 素木・三階
大工:金森正一 彫刻:土居工雪
・魚屋町 平成5年(1993年)建造 黒塗り・三階
大工:金森正一 彫刻:土居工雪・石水信至
・常盤巷 昭和57年(1982年)建造 素木・三階
大工:金森正一 彫刻:土居工雪
・坂元 昭和57年(1982年)建造 素木・三階
大工:伊藤康逸 彫刻:土居工雪
・尾土居 平成元年(1989年)建造 素木・三階
大工:伊藤一直 彫刻:土居工雪
・親善会 平成10年(1998年)購入
昭和57年(1982年)に氷見蛭子で建造 素木・二階
大工:金森正一 彫刻:土居工雪
各楽車の画像は、下記「西条異景 西条祭り・愛媛県西条市(yancanのブログ)」からご覧ください。
だんじりの歴史一覧
| 寛政02年(1790年)頃~ | 御船だんじりで奉納 |
| 明治22年(1889年) | 初代宮之下楽車 素木二階 建造 |
| 明治22年(1889年)~明治29年(1896年) | 御船だんじりで奉納するとともに、初代宮之下楽車を「無番」で奉納 |
| 明治30年(1897年) | 初代宮之下楽車 素木二階 「第十四番宮之下」で奉納 |
| 御船だんじりを新兵衛に譲渡 | |
| 明治35年(1902年) | 山口が屋台奉納届を提出せず、第九番山口の屋台番号が取消 |
| 「第十四番宮之下」が「第十三番宮之下」に | |
| 大正14年(1925年) | 二代目宮之下楽車 素木二階 建造 |
| 昭和28年(1953年) | 初代宮之下楽車を東原に譲渡 |
| 昭和60年(1985年) | 三代目宮之下楽車 素木三階 建造 |
| 二代目宮之下楽車を個人に譲渡、その後黒塗に | |
| 昭和63年(1988年) | 東原が初代宮之下楽車を都町に譲渡、その後黒塗に |
| 平成20年(2008年) | 都町が初代宮之下楽車を明理川に譲渡 |
| 令和07年(2025年) | 三代目宮之下楽車 建造40周年記念運行 |
水引幕

水引幕には、石岡神社の社紋である「右三つ巴紋」を採用している「だんじり」が多い。
ちなみに、水引幕や透かしの裏紙が基本的に「赤色(朱色)」であるのは、古代から邪気を払い、災難や悪霊などの「魔」を遠ざける強い力があると信じられてきたからです。
例えば、広島県宮島の「厳島神社」や京都市伏見区の「伏見稲荷大社」が朱色であることも同様です。
二十八宿 & 四神
中国における二十八宿の星座は4方角の七宿ごとにまとめられ、その繋げられた形は4つの聖獣の姿に見たてられ、「東方青龍」・「北方玄武」・「西方白虎」・「南方朱雀」の四神(四象または四陸ともいう)に分けられた。
二十八宿は、もともとは中国で月の天球上の位置を示すために作られたもので、天球上の月の通り道を28の星座に不均等に分割したものです。その一区分を「宿」と言い、月は一夜ごとに宿を一つずつ通過し、約28日で一回りすると考えられていました。
四神を配置している「だんじり」としては、例えば「川沿町楽車の置物」、「福武若葉町の置物」、「都町楽車の手摺(3階胴板)」などが有名である。
ちなみに、だんじりでは、団旗が付いている前側が「南方」となる。
各楽車の画像は、下記「西条異景 西条祭り・愛媛県西条市(yancanのブログ)」からご覧ください。
水引幕の乳(ち)


水引幕は、楽車の全周を巡らすため、この水引幕を天球と見立てるとともに、水引幕の乳を宿と見立てたと考えられる。ここで、天球とは、惑星や恒星がその上に張り付き運動すると考えられた地球を中心として取り巻く球体のことである。
そして、水引幕の全周を乳で吊るすことを考えると、上記28宿に倣って全周で乳の数を「28」にしたいとき、例えば水引幕の前側(南)と左側(東)とで乳の数が「14」、後側(北)と右側(西)とで乳の数が「14」となる。
この「14」を四本柱同士の距離を考慮しつつ、縁起の良いとされている奇数(陽数)に分けると、「9」と「5」となる。
このため、水引幕の乳の数としては、左右(東西)側を「9つ」、前後(南北)側を「5つ」としている水引幕が多い。
護 符
加えて、乳には、魔除けのため「護符」を刺繍するのが一般的である。護符としては、例えば「五芒星」、「輪鼓紋(りゅうごもん)」などがある。最近では、乳に石岡神社の社紋である「右三つ巴紋」を刺繍している水引幕もある。なお、宮之下も水引幕の乳に「右三つ巴紋」を刺繍している。
ちなみに、西田楽車の水引幕の左右(東西)には「輪鼓紋」の刺繍、前側(南)には、「五芒星」の刺繍がある。
また、坂元楽車の水引幕の左右(東西)には、「輪鼓紋」の刺繍がある。
各楽車の画像は、下記「西条異景 西条祭り・愛媛県西条市(yancanのブログ)」からご覧ください。
剣花菱紋

「剣花菱」とは、花菱の模様の間に剣がデザインされた家紋の一種です。魔除けや勝利を意味する「剣」と、高貴さを表す「花菱」が組み合わさった、伝統的な文様です。
構成:花菱紋に4本の剣を配したデザイン。四方剣花菱とも呼ばれます。
意味:剣は敵を討ち取り、魔を退ける神聖な力を持つとされ、武家の間で好まれた。
法被 & 土台幕
法 被

「宮」の文字と「剣花菱紋」とからなる法被
(出典:https://www.youtube.com/watch?v=NuwqSwbX1Cwからのキャプチャ画像)
土台幕

剣花菱紋を全面に配置した土台幕(先代の土台幕)

剣花菱紋を下方に2段配置した土台幕(現在の土台幕)
剣花菱紋の中にワンポイントで右三つ巴紋。
隅提灯(夜提灯)

昔は隅提灯(夜提灯)と言えば、赤提灯が主流だった。
しかし、赤提灯は、蝋燭の明かりの透過率が悪く、自治会名などが見えにくいなどの理由から赤提灯が徐々に衰退してきた。
換言すれば、「赤提灯」から「白提灯」に移行する楽車が増加した。
令和7年(2025年)に第九番上之浦が隅提灯(夜提灯)を「赤提灯」から「白提灯」に変更したため、現在石岡神社の奉納楽車では、第十三番宮之下だけが赤提灯となる。
長形提灯
現在、最も多い隅提灯(夜提灯)は、桶形提灯であるところ、第一番寺之下、第十番氷見新町の隅提灯(夜提灯)は、桶形提灯を太らせたような形、すなわち長形提灯。昔ながらの二階楽車には、この長形提灯が良く似合う。
第一番 寺之下

石岡神社 秋季例大祭 第一番寺之下
(出典:https://www.youtube.com/watch?v=Wd5g488RRCkからのキャプチャ画像)
第十番 氷見新町

石岡神社 秋季例大祭 第十番氷見新町
(出典:https://www.youtube.com/watch?v=Wd5g488RRCkからのキャプチャ画像)
太鼓の練習
古代中国では「奇数」を縁起の良い「陽数」と考え、特に最大の奇数である「9」が重なる9月9日を最もめでたい日とし、これが日本に伝わって「重陽の節句(菊の節句)」となったとされています。そして、西条祭りでは、かつて「重陽の節句」から太鼓の練習を行う習慣があった。
